電子マネーについて
ナナコ、ワオン、エディ、スイカ、パスモなど、現在の日本ではたくさんの電子マネーが活 躍しています。二〇世紀末のイギリスに電子マネーが登場してから十年余り、ふと気がつけ ば、日本は世界でも屈指の電子マネー大国に成長しました。
どれほどの電子マネーがこの世に存在しているのでしょうか。電子マネーの種類があまりに も多すぎて、どれを使っていいのかわからないと感じたことはありませんか。実は、世界には たくさんの種類の電子マネーがあり、この本を読まれている今、この時にも、新しい電子マ ネーが現れているかもしれません。
どんな電子マネーにも、それを作った人たちの思いや、利用する人たちの営みがあります。 ヨーロッパの電子マネーには中央銀行のような風格が感じられます。アジアの電子マネーには 人々の行き交う活気が感じられます。世界のどの街角で、何を便利にするために電子マネーが 登場したのか、それは現地を歩いた時にはじめてわかります。
さあ、このサイトと一緒に、多彩な電子マネーの世界に出かけましょう。電子マネーの視線から 社会を見つめると、電子の力で社会が大きく変わろうとしている姿が浮かび上がってきます。 きっと、今まで気がつかなかった電子マネーの佃性が見えてくることでしょう。そして、世界 レベルでの厳しい規格競争にも、目を向けることにしましょう。
電子マネーというものには、人の温もりが感じられないといわれることがある。人はいつの 頃からか無意識のうちに、紙幣や硬貨といったものを大切なものだと認識するようになった。 それはほとんど万国共通といってもよいぐらいで、紙幣や硬貨は特別な力を持ち続けてきた。
ここにお金の重みを象徴するようなエピソードがある。日本海沿いのある町で、銀行の代理 店に強盗が押し入った。犯人はカウンター内にあった現金袋を指差し、現金の重みを感じなが ら肩に担ぎ、ついでにカウンターに概かれていた1000円札紙幣を一枚とって、銀行をあと にした。あとで袋を開けた犯人は、さぞがっかりしたことであろう。一に昭の重さを持つ袋の中 身は、ちょうど1000枚の一円玉であったという。アルミニウムを主原料として電気の缶詰 とも呼ばれる貴重な一円玉を、一〇〇〇枚も盗んだ責任はもっと重い。
電子マネーの味気なさを描いた初期の作品として、「いとしの未来ちゃん―おしゃれ泥棒」 という短編のTVドラマがある。刑務所での勤めを終えシヤバに戻ってきたスリの常習犯を 待っていたのは、お金が廃止されて電子マネーだけが流通する時代だった。スリの相方でもあ る妹からすっかり変わった世の中を学ぶと、さっそく電子マネーをスリ盗る名人技を発揮す る。電子マネーを貯めこんで数字に口を輝かせる妹をよそに、現金の匂いが恋しい兄はやがて 紙幣の手触りを懐かしむようになっていく。この作品が放映された一九九七年といえばイギリ スでモンデックスの実験が始まって二年ほどの頃で、やがて到来する電子マネー社会とその本 質論までを予言した作品として、脚本家の慧眼には感服させられる。
新しいものを受け入れてもらうためには、それで何かできるかという機能を問うだけでな く、それが社会に受け入れられるという確信を、誰もが抱くようになることが大切だ。電子マ ネーを普及させようとするさまざまな試みを、一〇年あまり見て歩いてきた。かつてイギリス で、フランスで、またドイツで大掛かりなセットが組まれたが、国家の用意した舞台のうえで 国民が踊ることはついになかった。それが花開いたのは東アジアの都市で、誰もが朝の通勤で 何かをタッチする不思議な動作と、お金も出さずにコンビニの弁当を持ち去る風景が自然に映 るようになった。アジアの人々は電子マネーという新しい道具を、生活のなかに受け入れた。 ようやく表舞台に出た電子マネーといえども、大先輩の紙幣やコインに比べれば、まだまだ ほんの新人である。紙切れを出せば物を売ってもらえる紙幣という習慣が根付くまでには、長 い年月の積み重ねがあった。人は紙切れのために争い、紙切れの山に一喜一憂する。その様子 は、狸の世界からみると葉っぱを貯めこむ不思談な動物にしか見えない。みんなの確信がなけ れば成り立っていけないお金という仕組みは、システム外無価値性と呼ばれる共同体意識の典 型なのかもしれない。社会のインフラストラクチャーを形作るようになった電子マネーという 存在は、どうやら共同体幻想の対象となるほどにまで自然な存在となったらしい。その存在を 幻想ではなく確信にまで高めるためには、人間社会の智恵である公平なルール作りを急がなけ ればならない。
近未来ドラマにしか登場しなかったものが実在のものとなった。電子マネーは人々の生活を すっかり便利にした。だがそれだけでは完成ではない。電子マネーは温もりのある、人々に愛 される存在に育つのだろうか。電子マネーの歴史は、たったいま始まったばかりである。
